百間排水口は、水俣病原点の地です。 この排水口を通じて、昭和7(1932)年から昭和43(1968)年まで、チッソ水俣工場において酢酸等の原料となるアセトアルデヒドの製造工程で副生されたメチル水銀化合物が工場廃水とともに排出され(一時期水俣川河口へ排出)、水俣湾は汚染されました。そのため八代海(不知火海)全域に水俣病が発生しました。  水俣湾に排出された水銀量は約70〜150トン、あるいはそれ以上とも言われ、百間排水口付近に堆積した水銀を含む汚泥の厚さは4mに達するところもありました。  昭和52年(1977)年、熊本県は汚泥を除去する公害防止事業に着手し、約l14年の歳月と総事業費485億円の巨費をかけて、水俣湾に堆積した水銀ヘドロの一部浚渫・埋立を行い、平成2(1990)年、同事業は終了しました。  現在、百間排水口からは、浄化処理された工場廃水及び家庭からの生活排水が流れています。また、水俣湾内の魚介類等の安全性を確認するための調査も継続指定実施されています。  一度、汚染・破壊された環境は、いかに莫大な費用と労力をかけても元に戻すことはできません。このことを私達は人類の教訓として受け止めていかなくてはなりません。